ラーメン屋と定食屋と古本屋ばかりの
早稲田通りを抜け穴八幡神社へ
資料によると
平安末から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われたが、
戦国時代には久しく途絶え、徳川吉宗時代に
世継の疱瘡平癒祈願のため【流鏑馬】を高田馬場で
行ったのが穴八幡の神事としては初めてという事。
その後明治以後は中絶したが
昭和9年に皇太子ご誕生奉祝のため再興。
戦前は数回、戦後は昭和39年から復活。
その後例年体育の日がその実施日になった。
残念な事に外人率が高い。
日本の文化にもっと日本人が興味を示すべきだと
思うのだがダサいのだろうか。
確かに小さい頃はこういう神事に近い行事は
非常に退屈だった記憶がある。
会場でも子供は退屈そうに過ごしている。
約一時間半【流鏑馬】は行われたが最初の方は
わけが判らず消極的だった観客も最後の方では
的が割られる度にドッと歓声が沸き盛り上がった。
私も待ち時間を合わせて約2時間近く立ちっぱなし
だったが、
3つの的があるのだが、全て割るのは見てても相当
難しそうだ。事実馬のスピードを遅くして
やっと一人か二人全ての的に当てることが出来た。
馬のスピードも「は、はやっ!」という位スピードがあり
その分上下運動も激しくなる、オマケに鏑矢も弓も長く
非常に扱いにくそうだ。
戦国時代の馬は現在の馬よりひと回り小さくスピードも
遅かったらしい、と言う事は条件はさらに厳しくなっている。
乗り手も大変だ。
和風といえば落ち着いたイメージだが
騎手の服装は派手だし、もともと戦いの為の訓練なので
【流鏑馬】自体が迫力もスピード感もある。
輸入したスポーツばかりでなく
日本古来の競技がもっと生活に溶け込めるような
工夫は出来ないだろうか。
3つの的に当てた人は白い布を肩に掛けてもらえるのだが
それがなんとも誇らしげで微妙にたなびく姿が美しかった。
【流鏑馬】は難しそうですが、乗馬って楽しそうだな・・・