普通、「伊勢詣で」といえば、外宮内宮からなる伊勢神宮詣での事らしいのですが、
ここでいう所の「伊勢詣で」とは、「九鬼詣で」の事です。
あの、信長公屈指の水軍、戦国一と言われた毛利の「村上水軍」を看破した、
「九鬼水軍」の大将、九鬼嘉隆公ゆかりの地を辿ることが、私のいうところの
「伊勢詣で」なのであります。
前々から行きたいと思ってもいたし、ある方から、伊勢には原寸大の安土城が
あるなどと聞かされた日には、殿命である私の心はどこまで飛んで行くのかと
いうほどに、想いが募ります。
九鬼氏については、詳細は↓にてご参照のほどを。
http://www.jpreki.com/jp/kuki.html
4/25日の深夜バスにて、鳥羽へ。
明朝7時半着。到着15分前から何故か土砂降り!!またかよ!と嘆きそうに
なるものの空は明るい。覚悟を決めて出陣です。
鳥羽より4時間確保してあった観光タクシーで、当南端の波切&大王岬へと
向かいます。ここにはローカルなバスと電車しか行けず、一時間か二時間に
1本くらいなものなのでここでの時間の浪費は避けたいところ。
レンタカーより安く済むなら、道を知ってる方の車の方が安心だったのです。
それくらいお手頃価格!!ありがたい~~。
しかも、空はどんどん晴れて行き♪
ここ波切は、九鬼氏が幼少から青年期までを過ごした海の要塞です。
内湾と外洋の流れのぶつかるこの海とこの済んだ青さは、まさしく男の海です。
しばし、こんなところで育ったら「漢」も生まれるというもの。などと浸りきりの時間です。
が、ぐずぐずしていたら、本日中には帰れません。
そこから取って返して、自ら築工し壮年期を過ごしたとされる鳥羽城跡へ。
ここは現在、城跡と小学校が混在しています。
更に、鉄甲船を造船したとされる大湊を左前方に仰ぎ見て、定期連絡船にて、
その生涯を閉じたとされる、答司島へ向かいます。25分後到着。すでに12時。
乗船券のモギリのおねえさんに、
「次の(45分後)船に乗りたい。伊勢海老の美味しいのが食べたい。九鬼氏の
首塚と胴塚にお参りしたい。」などといきなり何言ってんの?ともいうべき
我儘を申し出たところ、「よっしゃ!ちょっと待ってや!」と言うが早く、どこぞに
携帯電話で連絡。
すると数分後に、どこかのおすし屋さんの軽が来て、あれよあれよと言う間に
乗せられ、着いたらテーブルには飛び跳ねてる巨大な伊勢海老!
それで「これでどうだい?値段はコレコレ!」「ええ?!」・・・
もう本当に驚くほどのリーズナブルなお値段!!
「い、いいんですか?」と聞いたら、「俺は漁師だからよ!」という返事。
「それに首塚行くんだろ?いいよいいよ、食べたらちゃんと送ってってやるから。」
私「!!!」。でもそういう私も、喉も渇いてるし腹も減ってるしで、ビール片手に
お行儀の悪い食べっぷりで、あきれてるかしらん?と思えば、皆さんニコニコと
様子を見守って下さっています。
そうなんです!ここの人たちはみんな九鬼さまが大好きのようで!!
九鬼さまに限らず、後で確認したところ、昭和やそれ以前に、この島から出兵
された方々の石碑が、九鬼さまの胴塚の横に、ズラっと建てられているのです。
まるで、その一角山ごと聖地のように・・・。
とにかくブタのようにガツガツ食べてる間にも、時間が迫ります。
「ほんっと!美味しかったです~~!!」と言うか言わないかのうちに、
外にはあの軽がスタンバイしています。御礼の言葉もそこそこに車に揺られて、
首塚と胴塚のある山の麓に着きました。
きちんとお礼をと思ったのですが、「ほら!ここからの山道は大変だし、
早くしないと船が出てっちゃうよ!」「じゃぁな!」と片手で「よっ」と
ばかりのパフォーマンスで、軽はブゥ~~っと行ってしまいました。
私は忘れませんよ~。「まるみつ寿し」の親方!!
いつか、この島には、絶対に泊まりに来るからね~~!!
ここは和具という漁港で、この島の反対側は、夏は本当に賑わうビーチ
なのだそうです。もう絶対に泳ぎに来たい!
九鬼さまの泳いだこの青の綺麗な伊勢湾に・・・。
(続く)