>>>真田六文銭・雁金マフラー
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「かっこいい」
2/12【今日は何の日(戦国編)】永正11年尼子 晴久(あまご はるひさ)生誕。尼子経久の嫡男・政久の次男。大内義隆の侵攻を受けた月山富田城の戦いでは毛利元就も九死に一生を得るほどの損害を与える。忍原崩れでも毛利を撃破。晴久の存命中に元就は石見銀山を奪えなかった。元就の天敵。
2/12【今日は何の日(戦国編)】天文19年大友義鑑(おおとも よしあき)没(享年49)嫡子の義鎮でなく三男の塩市丸に家督を譲ろうとした。入田親誠と共謀して義鎮派の家臣を次々と殺害するが津久見美作らの逆襲により死亡。義鎮は後の大友宗麟である。これを「二階崩れの変」という。
2/11【今日は何の日(戦国編)】天正18年井伊直孝生誕。父・直政に似て剛直で無骨、寡黙な性格であったため、夜叉掃部(やしゃかもん)と恐れられた。直孝が鷹狩に出た帰りに寺(弘徳庵)の前を通りかかると、中に入るよう手招きする猫がいたためその寺に入った。すると辺りは突然雷雨となった。この寺が後に改築され豪徳寺となる。
【続き】この猫がのちの「ひこにゃん」である。
2/10【今日は何の日(戦国編)】天正6年青山 忠俊(あおやま ただとし)生誕。
青山忠成の次男。土井利勝、酒井忠世とともに家光の傅役をつとめる。忠俊はしばしば家光に諫言を繰り返し、老中を免職→大多喜藩(2万石)に減転封、その後除封され、下総国網戸・相模国溝郷・遠江国小林を経て、相模国今泉で蟄居する。
2/10【今日は何の日(戦国編)】元和9年薦野 増時(こもの ますとき)没(享年81)立花鑑載に仕えていたが、鑑載が戸次鑑連に討たれると、増時は立花道雪(戸次鑑連)に仕える。道雪が病死ののちは立花宗茂に仕えるが、宗茂が改易になると道雪の墓守をすることを条件に黒田如水に仕えることとなった。
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しあわせな仕事の見つけ方、つくり方 ~共感・応援の時代の仕事道~ (ワニプラス) (2010/11/25) 久米 信行 |
※しあわせな仕事を見つけた7人の一人に選ばれました。
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