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松平家忠日記 (角川選書) (1999/03) 盛本 昌広 |
戦国時代においては、地味な印象の三河武士団ですが
山岡荘八「徳川家康」でのブームや、最近では
宮城谷昌光「三河武士物語」などで取り上げられるなど
日本人の琴線に触れるものがあるようです。
なんといっても江戸幕府という現代にも影響を与えている
長期安定政権を築いたわけですから、そこに今の日本人の原点が
見て取れるのかもしれません。
三河仏壇の職人集団アートマンジャパン・都築さんから
情報を頂きまして、明日行ってきます。(いつも情報有り難うございます!)
戦国武将の日記を読む~『松平家忠日記』に見る信長・秀吉・家康~
http://www.komazawa-u.ac.jp/cms/kikakuten/2740
サイトで公開されている本能寺の変について書かれてある
家忠日記のPDFには興味深い記述がありました。
京都で「上様」( 織田信長) が「明知( 智) 日向守」( 光秀) と「小( 織)
田七兵衛」( 信澄、信長の弟信勝の子) の「別心」によって「ご生かい」( 生害) した
との連絡があったと、その第一報を受けたことを記しています。
第一報では明智光秀に同心して織田信澄も謀反を起こしたことになってます。
現在では、光秀の謀反とは無関係であったことが有力視されていますが
この次点では完全に疑われていたという事がわかります。
その他の日記についても興味深いものばかりのようで明日が楽しみです。
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