戦国ニュース(もののふメディア掲載など)

松平家の3人(広忠・信康・忠吉)が

$戦国をもっと楽しくする!戦国ブランドのパイオニア【もののふ】-真田六文銭マフラー

>>>真田六文銭・雁金マフラー

3/6【今日は何の日(戦国編)】天正12年浅井 長時(あざいながとき)没(享年16)織田信長の赤母衣衆・浅井政貞の長子。織田家の尾張衆として織田信忠の家臣となる。本能寺の変後は、織田信雄に仕える。岡田重孝・津川義冬、そして長時の三人は「三家老」と呼ばれるが、謀反の疑いをかけられ信雄に殺害された。

3/6【今日は何の日(戦国編)】天正7年松平信康(まつだいらのぶやす)没(享年20)
徳川家康の長男。正室は織田信長の娘・徳姫。祖父と同様に岡崎三郎を名乗った。信長の娘である徳姫は、今川の血を引く姑築山殿との折り合いが悪く、信康とも不和になったので、父・信長に対して十二箇条の手紙を書き、使者として信長の元に赴く徳川家の重臣酒井忠次に託した。手紙には信康と不仲であること、築山殿は武田勝頼(武田信玄の四男)と内通した、と記されていたとされる。信長は使者の忠次に糺したが、忠次は信康を全く庇わず、すべてを事実と認めた。この結果、信長は家康に信康の切腹を要求した。のち築山殿は殺害。信康は自害。

3/6【今日は何の日(戦国編)】天文18年松平広忠(まつだいらひろただ)没(享年23)
徳川家康の父。清康の死去により、大叔父の松平信定は広忠を殺害しようと企てる。吉良持広の庇護を得て伊勢国まで逃れたが、持広の死去後、子「吉時」の織田氏加担で庇護者を失うと、三河へ再逃亡。長篠領民を頼んで暫く雌伏。岡崎帰参を今川義元に執り成してもらうべく駿河へ赴いた。義元の計らいで三河「牟呂城」に移される。広忠の帰城を望む譜代衆の働きで、松平信孝・松平康孝の協力を得て岡崎へ帰城。信定は降参した。

3/5【今日は何の日(戦国編)】慶長12年松平忠吉(まつだいらただよし)没(享年28)
徳川家康の四男。徳川秀忠の同母弟。井伊直政の娘婿。関ヶ原の戦いで初陣を飾り、福島正則と先陣を争い、島津豊久を討ち取る等の功を挙げる。戦後、尾張清洲52万石を与えられたが、関ヶ原の戦いの折に負傷した傷がもとで死去。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

しあわせな仕事の見つけ方、つくり方 ~共感・応援の時代の仕事道~ (ワニプラス) しあわせな仕事の見つけ方、つくり方 ~共感・応援の時代の仕事道~ (ワニプラス)
(2010/11/25)
久米 信行

商品詳細を見る

※しあわせな仕事を見つけた7人の一人に選ばれました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

戦国武将グッズなら、正統派戦国ブランドのパイオニア【もののふ】へ

$日本初、戦国ブランド【もののふ】@戦国で起業した男-戦国もののふバナー