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2/27【今日は何の日(戦国編)】万治4年井上政重(いのうえまさしげ)没(享年77)
江戸幕府のキリシタン禁教政策の中心人物であったが、自身も元キリシタンであったとされる。下屋敷が文京区小日向にあり、キリシタンを幽閉する施設として使用された。脇に切支丹坂と呼ばれる坂が残る。のち下総高岡藩の藩祖。
2/26【今日は何の日(戦国編)】慶長13年堀直政(ほりなおまさ)没(享年61)堀秀政の家老。信長の死後、秀政と共に山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、雑賀攻め、四国攻め、九州の役、小田原の役に従軍。秀政は小田原の陣中で病没。秀吉より直江兼続、小早川隆景とともに天下の三陪臣と賞された。
「秀吉曰く、陪臣にて、直江山城(兼続)、小早川左衛門(隆景)、堀監物(直政)抔(抔は等と同じ)は天下の仕置をするとも、仕兼間敷(しかねまじき)者なりとて、共に賞誉せられけり。」
2/26【今日は何の日(戦国編)】慶長15年滝川 雄利(たきがわ かつとし)没(享年67)
木造家→滝川一益→織田信雄→豊臣秀吉の御伽衆を務め、伊勢国神戸城2万石を領す。→
関ヶ原の戦いでは西軍に与し、戦後に改易されたが、後に徳川家康より常陸片野2万石の所領を与えられ、御伽衆の一人となった。
2/26【今日は何の日(戦国編)】元和6年蜂須賀 至鎮(はちすかよししげ)没(享年35)
祖父は正勝、父は家政。豊臣秀吉の家臣として仕えた。秀吉の死後、家康の養女を娶った経緯から、関ヶ原の戦いでは、至鎮は東軍に与した。大坂の陣では徳川方として参戦し、武功を立てている。淡路国も加増され、25万7000石の大名となる。内政においては、塩田の開発や非常時の食料の確保に努め、名君として慕われた。
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しあわせな仕事の見つけ方、つくり方 ~共感・応援の時代の仕事道~ (ワニプラス) (2010/11/25) 久米 信行 |
※しあわせな仕事を見つけた7人の一人に選ばれました。
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